ドナー登録について

武田美幸さんの体験談です。

○ドナー登録をしたわけ

私が骨髄バンクにドナー(骨髄提供者)の登録をしたきっかけは北野ゆかりさんという患者さんと知り合ったこと。6年前、彼女は彼女自身、再生不良性貧血という病気と闘いながら、公的骨髄バンクを作るために運動していた。(骨髄バンクが設立されたのは1992年12月18日)残念ながら、北野さんは骨髄バンクが設立された日に亡くなられたが、そんな彼女たちの一生懸命な姿に心を動かされ、バンク登録が開始されると同時に登録した。

 

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○3次検査の通知が来て

骨髄バンクが設立されてから、油野千里さんたちが作った「富山県骨髄バンクを広める会」のシンポジウムなどに参加して、骨髄移植への理解は深まったと思っていた。でも、まだ自分がドナーになることが現実として起こるとは考えていなかった。
そんなある日、(財)骨髄移植推進財団から3次検査の知らせが来た。私が2次検査を受けたのは3年くらい前だったし、郵便を見たときは突然で「えっ、ホント!?」というのが正直な気持ち。3次検査での適合確率は3分の1。つまり3人に1人がドナーになるというわけだ。

 

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○答えは「イエス」

私だけの問題だと思っていたことが、急に現実味を帯びてきた。夫にも娘にも、実家の母達にも、そして「まいけ」の仲間にももう1度話をしなければならなくなった。
いや、その前に、本当に自分はドナーになる覚悟ができているのか自分に聞いてみた。答えは「イエス」。ここで止めてしまったら、北野さんや油野さんたちの役に立ちたい、骨髄移植を待ち望んでいる患者さんに自分のできることを、と思ってきたことがウソになる気がして決心した。
幸い、夫も娘も話し合いの結果、協力すると言ってくれた。夫は「付き添うよ」と、また娘は「お母さんが本当にやりたいならやるべき。誰だって、やりたいことを反対されたらいやでしょ」と、ドキッとするような、大人になったんだなあと感心するような返事。家族の言葉にとても勇気づけられ、背中をポンと押された気がした。
「まいけ」のスタッフにも、もし3次検査を通過したら、ドナーになりたい意志を伝え、快く承諾してもらった。

 

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○コーディネート開始

3次検査からは骨髄バンクのコーディネーターや医師とのやりとりになり、検査も骨髄採取を受ける病院で行う。(富山県では富山県立中央病院)コーディネーターは、ドナーと担当医師の間で疑問や心配、これからの日程などについて調整してくれる心強い助っ人。私はコーディネーターのTさんに提供の意志を伝え、3次検査→採取に向けて進み出した。

 

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○母の反対

家族に具体的にどんな方法で採取するのかなどを知ってもらおうと、骨髄バンクからビデオ(「骨髄提供登録希望者の方へ」、「いのちの絆」)を借り、見てもらった。実家の母にもビデオを送って感想を聞いたところ、「なんであなたが命の危険をおかしてまで……。身勝手だとは思うけど、母の気持ちとしてはできればやめてほしい」という返事。私のことを心配してくれる母の気持ちはとてもありがたい。今からやめることは考えられないけど、母には悲しい思いをさせてしまった。困ったなぁと思っていたところ、母も私の決心が堅いこと、家族も賛成してることなどいろいろ考えていたらしく、数日後、電話で「何もしてあげられないけど、頑張ってね」と言ってくれた。

 

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○採取で心配なことは

3次検査(採血と問診など)を受けてから1か月後、適合したとの知らせが来た。それから夫と一緒に担当のT医師とコーディネーターのT医師に会い、骨髄採取について詳細な説明を受けた。採取の際の不安や疑問にも丁寧に答えてくれた。そこでやはり問題になるのが、採取の時かける全身麻酔のこと。100%安全とはいえないけれど、重大な事故は、世界中で行われた4万例を超える採取のうち、今までに2件。交通事故にあうより確率がずっと低いわけだし、万全の態勢で行われるのだからと最終的に同意した。
もう一つ気になったのは、採取の際に気管にチューブを入れて人工呼吸器で呼吸をコントロールすることと、尿道に細い管を差し込む導尿をすること。そんな痛そうなことをいつするのか、どうしても知りたくて尋ねてみた。返事は、両方とも麻酔がきいてからだから、痛みは感じないし、人工呼吸器は採取が終わればすぐはずすから本人はまったく分からないとのこと。それを聞いて、「眠ってるんだ」と一安心。私の一番の不安はどんな痛いことをされるのだろうと言うことだったらしい。私は「痛み」にすごく弱いのだ。

 

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○採取(骨髄提供)へ向けて

ドナーが最終同意をしたころから、患者さんは骨髄移植の準備に入る。私が採取のため入院する日には、患者さんにはもう前処置(放射線、抗ガン剤で骨髄幹細胞を全滅させる)が始まっているので、提供できなくなると患者さんの命が失われることになる。
採取の一ヶ月前には、採取する病院で、健康診断、血液検査、尿検査、胸部レントゲン、心電図、肺機能検査、麻酔医からの詳しい説明、そして採取のときに自分の身体に輸血するための自己血の採取(私の場合400cc)が行われた。半日近くを費やしたが、普段あまり健康診断も受けていないし、これだけ徹底した検査も、ドナーの安全を考えてのことと思えば、お易い御用である。これから入院するまでは、無理をしないように体調を整えなければ。それに車を運転しているので、事故を起こしたり事故に遭わないようにすること。といっても、いつもより慎重に運転するしかないけれど…。自分だけの身体ではないと、ずっしりと重い責任を感じた。

 

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○緊張していた採取前日

そして、いよいよ入院。幸いなことに、病室は個室。病気で入院するわけではないし、いろんな意味で気を使わなくてもいいのでとてもありがたい。でも、入院費用など骨髄採取に関する費用は、ドナーの私には一切かからないので申し訳ない気もする。 一応の検査が終わると、翌日の骨髄採取まで時間がたっぷりできてしまった。食事は作らなくてもいいし、看護婦さんも忙しいのにいろいろ気を使ってくれるし、普段の気忙しさとは大違い。でも、あんなに自分の時間が欲しいと思っていたのに、なぜか落ち着かない。血圧も高めで、やはり緊張しているのが分かる。頭では十分理解していたつもりだったけど、感情はどうしようもない。この分じゃ食事も喉を通らないかも…と思いきや、それは要らぬ心配だった。

 

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○患者さんへ

患者さんも明日の移植を待ち望んでいるんだろうなあ。女性?男性?大人?こども?私の骨髄がどんな人に移植されるのかは知らされない規則になっている。Tさんから、患者さんに手紙を、と言われていたのを思いだし、今の気持ちを手紙に書いた。(正直言って、全くわからない相手に手紙を書くのは難しかったが)。手紙を書くのは強制ではないとTさんから聞いていたが、移植後の拒絶反応との闘いはとても辛いらしいから、是非がんばってほしいと伝えたかったし、自分がなぜここにいるのかを自覚するためにもいいことだと思う。

 

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○手術室までは不安でいっぱい!
明日はいやでもたっぷり眠るんだからと、寝不足のまま採取の朝を迎えて、8時半頃には点滴が始まった。もちろん、朝から絶食。夫も付き添いに来てくれた。次に麻酔が効きやすくなる注射をお尻に2本。看護婦さんが「ちょっと痛いですよ」と言ってくれたが、ちょっとどころか、BCGや日本脳炎の注射よりも痛かった。「うーん、まだ注射しかしていないのに、こんなに痛いなんて、先が不安だ」と思う暇もなく、腕に点滴をつけてベッドのまま手術室へ。
手術室に到着すると、麻酔医から「もう痛いことはしませんよ、点滴から麻酔の薬が入ると10秒ほどで意識が無くなりますから」と言われ、〈嬉しい、もう痛くないんだ〉と先生が神様のように思えたところまでは覚えている。が、腕にちょっと熱いものを感じたと思ったら意識がなかった。とても10秒はかかっていないから、私は麻酔が効きやすい体質なのかも知れない。

 

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○採取後の経過は良好

誰かに名前を呼ばれて目が覚めたのは病室。目が覚めたといってもまだ、夢の中という感じで、自分では看護婦さんの質問に何か返事をしていたようだけど、よく覚えていない。夫に聞いたところ、お昼頃病室に戻ってきて、4時頃に少しずつ目が覚めてきたのだそうだ。まだ麻酔が効いているせいか腰の痛みもさほど感じない。喉もいがらっぽくはないし、気分もぼーっとしているだけでそう悪くない。ただ導尿されていて変な感じだったので早く抜いて欲しかったが、点滴が終わるまではと言うことで、夜の8時頃にやっと取ってもらった。
T医師からは、骨髄を800ccほど採取したこと、骨髄はすぐ患者さんのいる病院に運ばれたとの報告を受けた。今日は、少しずつ水分(お茶やジュース)を摂って、明日からは普通に食事をしてもいいとのこと。
採取したところの痛みも、私の場合、鎮痛剤をもらうほどではなかったし、起き上がったり横になるとき、患部に負担をかけないように気をつけたり、急に動いたりしないようにしたくらい。
採取したのは3カ所で、お尻の少し上のほうの左側に1カ所、右側に2カ所、ちょっと太い注射針の跡がプチンとある程度。出血も内出血も無く、患部に大きな絆創膏がぺたっとはってあった。個人差があるだろうが、やはり年齢が若いほど、治りも早いそうだ。こればかりは私の責任外なので仕方がない。次の日くらいまで少し身体がだるく、微熱もあったけど、異常ではないそうだ。3日目には熱も下がって身体も軽くなってきた。

 

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○そして退院

退院はその次の日(採取した日から4日目)。その間、何回か採血や尿の検査はあったけど、安静が第一と言うことでじっとベッドの上で「イテテ、イテテ」と独り言を言いながら寝返りをうって、本を読んでいた。自己輸血をしたせいか、貧血もたいしたことなく、退院の日はシャワーも使わせてもらった。
退院した日が土曜日だったので、2日間は家でゆっくりして、月曜日には仕事開始。しばらくは腰が重くて患部が気になったし、激しい運動を避けた。2週間ほどは、夕方になるといつもより疲れを感じ、ジーパンも患部を圧迫するような気がしてはかなかった。定期的にコーディネーターから身体の状態を聞く連絡があるなどアフターケアもあったし、約一ヶ月後の定期検診も異常なし。腰の痛みも重さも、日が経つにつれ忘れてしまった。でも、これは私の場合であって、採取を受ける病院や、医師、ドナーの個人差などいろいろな条件で違ってくるだろう。

 

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○嬉しかった患者さんからの手紙

退院して少ししてから、Tさんを通じて、患者さんからの手紙をもらった。直筆だった。それは移植前に書かれたものだろうけど(移植後は治療の副作用などで手が震えて字も書けないと聞いているので)、とても嬉しかった。患者さんの情報が入らないから、ともすれば自分の身体のことばかり気にして、自分が病気から治ったような錯覚を起こしてしまうから。自分の目的を見失わないためにも、希望すれば患者さんの近況がわかるとか、患者さんとできる範囲でのつながりを持てれば…と思うのは私だけだろうか。たとえ、残念な結果になったとしても、自分のしたことが無駄なことだったとは思わないのも、私だけだろうか。

 

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○ドナーになったこと

ドナーになったことは、私の人生の中でとても有意義な経験だった。考えているだけではなく実際に行動できて自信にもなったし、少しの勇気と周囲の暖かい応援で、誰かが元気に生きて行けるんだから。
ただ、患者さんにはまだまだ辛い日々が続いているのだろうかと気になるけれど、今は“頑張って”と祈るしかない。